大丸散歩

中山恒三郎家で、大丸地名の由来ヒント

11月最後の週末に一般公開された、川和の豪商中山恒三郎家に行ってきました。


主催が(公財)横浜市ふるさと歴史財団、横浜開港資料館、横浜市歴史博物館、横浜都市発展記念館です。

地域の歴史に詳しいスタッフも来ているとの前情報あり。
大丸についてのなにか情報がわかるかも!
→結果、非常におもしろい事実を知りました。それは最後に。

場所は川和町のイエローハットさんの道路反対側辺りです。

まずは、中山恒三郎さんてどんな人?

人がいない瞬間を狙って写真を撮ってるだけで、実際はたくさんの見学者がいましたよ。
古い家ですが、非常に状態よく保存されています。
昔の家は今の家のように密閉されていません。
隙間だらけで冬はかなり寒いと思います。
当時の敷地内図です。かなり広いことがわかります。
隣の諸味蔵の中に置いてあった昔の品々に興味津々。
昔の川和一帯の歴史に詳しいスタッフがいてお話を聞くことができました。
ずっと謎であった大丸の町の名の由来について質問してみたところ、

「ああ、大丸遺跡からきてるんじゃないですかね」

「なんですと!おおまるいせき!?」

検索して調べてみたら、ありました、大丸遺跡!
ラフィア裏側じゃないですか。
こんなところに遺跡があったなんて知らなかったよ。

Googleマップだけじゃなくて、ウィキペディアにも載ってました。

大丸遺跡(おおまるいせき)は、かつて神奈川県横浜市都筑区大丸(調査当時は緑区池辺町)に存在した縄文時代中期~後期の極めて小規模な集落遺跡。港北ニュータウン遺跡群の1つ。引用:ウィキペディア 大丸遺跡

さらに、大丸にあるのに小丸遺跡ってのもありますよ。
小丸遺跡(こまるいせき)は、神奈川県横浜市都筑区大丸(旧緑区池辺町)に所在した縄文時代後期(4400年前 – 3200年前)を中心とする環状集落の遺跡である。別称は池辺(いこのべ)14遺跡。縄文時代集落が丸ごと発掘調査され、同時代における掘立柱建物の存在が初めて確認された遺跡である。また集落内において特殊な階層・地位にある住人が居住した可能性のある住居の存在を確認した遺跡の1つとしても知られる。引用:ウィキペディア 小丸遺跡
その現在地はなんと、からたち公園。

1975年-1976年にかけて実施された港北ニュータウン遺跡群調査。
当時今の大丸は緑区池辺町でしたが、なぜだか大丸遺跡と命名。
その後に都筑区が誕生します。
区画整理の際に「大丸遺跡があるんだから、大丸って町名にするべ!」という流れですかね。どうでしょう、まだ確定していません。なぜ緑区池辺町で発掘された遺跡に大丸って名前を付けたの?
またなにかわかったら、書きたいと思います。

2022-12-14 | Posted in 大丸散歩Comments Closed